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大野俊三 Biography
◆ミリオンセラー、ゴールドディスクと2度のグラミー賞受賞
1974年にアート・ブレイキーの誘いでニューヨークへ渡る。
アート・ブレイキーやロイ・ヘインズとの共演の後、
ノーマン・コナーズのダンス・オブ・マジックに参加。3年間にわたり世界ツアーを行う。
その間、ノーマン・コナーズとのレコーディングでは、ミリオンセラーとなったアルバム
「ユー・アー・マイ・スターシップ」にフューチャーされた『バブルス』の作曲・編曲をまかされ、
ノーマン自身がリリースした『バブルス』のシングルレコードもゴールド・ディスクとなった。
また、マチート&アフロキューバンズの一員としてアメリカ国内はもとより、
欧州や南米ツアーにも参加。大野のソロをフューチャーしたアルバム
「マチート・アンド・ヒズ・サルサ・ビッグ・バンド」は1984年度グラミー賞に輝いた。
1983年よりギル・エヴァンス・オーケストラに参加し、
1988年度アルバム「ライブ・アット・スウィート・ベイジル」で2度目のグラミー賞を獲得。
◆交通事故・ステージⅣの癌からの復活を遂げた奇跡
1988年に交通事故に巻き込まれ、唇を切り、前歯を折るなどトランペッターとして致命的な危機に陥る
が、強靭な精神力で見事に復活。バスター・ウィリアムスのクインテットに迎えられ活動を再開。
1996年には第Ⅳ期扁桃ガンとの闘病。顔面片側の唾液腺と神経を除去する大手術を受け、
再びトランペッターとしての致命的傷害を受けた。しかし俊三の不撓不屈の挑戦により楽器を一から始める状態から、演奏活動を再開できるまでになった。
このドラマは、2000年3月、フジテレビ「奇跡体験!アンビリバボー」でも紹介された。
1998年の後半から1999年にかけて、ウェイン・ショーターのグループに入り活動。
11月に行われたウェイン・ショーターのジャパン・ツアーの一員としても来日し、好評を博した。
1999年ギタリストのラリー・コリエルのワールド・ツアーに参加。
2001年12月には今までの実績が評価され、U.J.C.
(ユニバーサル・ジャズ・コアリション&ニューヨーク・ジャズ・センター)より、
「アジア・アメリカ・ジャズ・コネクション音楽部門」芸術的貢献賞の第1回受賞者となった。
2003年、東京国際映画祭出品作「ほたるの星」のテーマ曲制作。
2005年、岐阜市ふるさと文化賞受賞。
2006年、大野えりの最新作「スイート・ラブ」をプロデュースするとともに、
ゲスト・アーティストとしても参加。この年、アジア各国で公演する一方、
本拠地のニューヨークでも多くの演奏活動を行い、シンガポールと日本でセミナーも開催した。
2006年・2007年、ワシントンDCのケネディーセンターに於いて、
ハワード大学ジャズアンサンブルとの共同プロジェクトによるコンサート、
その成功は文化の相互理解を促進するという面で、大変意義あるものになった。
それに続くアトランタ・フェスティバル、2つの日本ツアー、
春と秋のニューヨーク・ブルーノートでのコンサートでも多大な成功を収めた。
2008年、香港公演では3日間の全ソールドアウト。シンガポール、マレーシアにても大好評を得た。
また、エグゼクティヴプロデューサーにタモリを迎え、アルバム「SAKURA」をリリース。
2009年、2010年、渡米35周年記念コンサートツアーを日本国内にて39公演行い、大好評を博す。
2011年の香港公演は、各メディアから本年度のベストコンサートと賞賛される。
2012年、ニューアルバム「ALL IN ONE」をリリース。
2014年4月、ニューアルバム「月の光」をリリース。
東京・大阪をはじめ、各地でのCD発売コンサートを大好評で終える。
◆コンポーザーアレンジャーとしての進化
2014年5月、世界最大級の国際作曲コンペティション" International Songwriting Competition(ISC)"において、120カ国2万人の中から頂点となる
「総合グランプリ(Grand Prize)」に輝く。
(13年間のコンペティションの歴史の中で、日本出身者のGrand Prize受賞は初めて。また、ジャズ部門ノミネートからも初めての快挙)!(グランプリ対象曲は"Musashi"。Okinawaも佳作に選出)。
2015年1月、神戸市の委嘱により、メモリアル曲「KOBE」を作曲。
震災20周年特別慰霊イベントで、映画「スィングガールズ」のモデルとなった兵庫県立高砂高校の
ビックバンドとともに「KOBE」を初演。
5月、1ヶ月に及ぶJAPANツアー計21公演を開催。
11月ニューアルバム「ReNew」をリリース。
2016年12月31日 最新アルバム「ReNew」がアメリカの権威あるジャズアワード「Annual Jazz
Station Awards/The Best Jazz of 2016」で最優秀賞に輝く。
ベストアルバム賞に加え、大野自身も「ベスト・トランぺッター賞」「ベスト・コンポーザー賞」に
選ばれ、全米でも数多くのメディアがこの受賞のニュースを報じている。
2017年5月16日
世界最大級の国際作曲コンペティション" International Songwriting Competition(ISC)"におい
て、137カ国1万6千人の中から「ジャズ部門最優秀賞(1st place)」に輝く。
<受賞曲は"Go On"。アルバム “home”(Pulsebeats Records)に収録>
◆ライフワークである学校講演と被災地を訪ねて
2011年5月、ニューヨークにて東日本大震災チャリティーイベントを、公立学校区の共催で開催し
多くの参加者、義援金を寄付。
2011年7月以来、今日までの来日の際、その回100回以上、東北の被災地を訪門。
釜石市、気仙沼市、大船渡市、仙台市、花巻市それぞれの地にて、小・中・高等学校、避難所、
仮設住宅、及び地元アマチュアバンドとの交流コンサート等を行っている。
2016年から熊本への被災地支援を実施。
◆現在も、俊三は不屈の精神をもって、世界の人々の心にポジティブなエネルギーを与え続けている。
Read More1974年にアート・ブレイキーの誘いでニューヨークへ渡る。
アート・ブレイキーやロイ・ヘインズとの共演の後、
ノーマン・コナーズのダンス・オブ・マジックに参加。3年間にわたり世界ツアーを行う。
その間、ノーマン・コナーズとのレコーディングでは、ミリオンセラーとなったアルバム
「ユー・アー・マイ・スターシップ」にフューチャーされた『バブルス』の作曲・編曲をまかされ、
ノーマン自身がリリースした『バブルス』のシングルレコードもゴールド・ディスクとなった。
また、マチート&アフロキューバンズの一員としてアメリカ国内はもとより、
欧州や南米ツアーにも参加。大野のソロをフューチャーしたアルバム
「マチート・アンド・ヒズ・サルサ・ビッグ・バンド」は1984年度グラミー賞に輝いた。
1983年よりギル・エヴァンス・オーケストラに参加し、
1988年度アルバム「ライブ・アット・スウィート・ベイジル」で2度目のグラミー賞を獲得。
◆交通事故・ステージⅣの癌からの復活を遂げた奇跡
1988年に交通事故に巻き込まれ、唇を切り、前歯を折るなどトランペッターとして致命的な危機に陥る
が、強靭な精神力で見事に復活。バスター・ウィリアムスのクインテットに迎えられ活動を再開。
1996年には第Ⅳ期扁桃ガンとの闘病。顔面片側の唾液腺と神経を除去する大手術を受け、
再びトランペッターとしての致命的傷害を受けた。しかし俊三の不撓不屈の挑戦により楽器を一から始める状態から、演奏活動を再開できるまでになった。
このドラマは、2000年3月、フジテレビ「奇跡体験!アンビリバボー」でも紹介された。
1998年の後半から1999年にかけて、ウェイン・ショーターのグループに入り活動。
11月に行われたウェイン・ショーターのジャパン・ツアーの一員としても来日し、好評を博した。
1999年ギタリストのラリー・コリエルのワールド・ツアーに参加。
2001年12月には今までの実績が評価され、U.J.C.
(ユニバーサル・ジャズ・コアリション&ニューヨーク・ジャズ・センター)より、
「アジア・アメリカ・ジャズ・コネクション音楽部門」芸術的貢献賞の第1回受賞者となった。
2003年、東京国際映画祭出品作「ほたるの星」のテーマ曲制作。
2005年、岐阜市ふるさと文化賞受賞。
2006年、大野えりの最新作「スイート・ラブ」をプロデュースするとともに、
ゲスト・アーティストとしても参加。この年、アジア各国で公演する一方、
本拠地のニューヨークでも多くの演奏活動を行い、シンガポールと日本でセミナーも開催した。
2006年・2007年、ワシントンDCのケネディーセンターに於いて、
ハワード大学ジャズアンサンブルとの共同プロジェクトによるコンサート、
その成功は文化の相互理解を促進するという面で、大変意義あるものになった。
それに続くアトランタ・フェスティバル、2つの日本ツアー、
春と秋のニューヨーク・ブルーノートでのコンサートでも多大な成功を収めた。
2008年、香港公演では3日間の全ソールドアウト。シンガポール、マレーシアにても大好評を得た。
また、エグゼクティヴプロデューサーにタモリを迎え、アルバム「SAKURA」をリリース。
2009年、2010年、渡米35周年記念コンサートツアーを日本国内にて39公演行い、大好評を博す。
2011年の香港公演は、各メディアから本年度のベストコンサートと賞賛される。
2012年、ニューアルバム「ALL IN ONE」をリリース。
2014年4月、ニューアルバム「月の光」をリリース。
東京・大阪をはじめ、各地でのCD発売コンサートを大好評で終える。
◆コンポーザーアレンジャーとしての進化
2014年5月、世界最大級の国際作曲コンペティション" International Songwriting Competition(ISC)"において、120カ国2万人の中から頂点となる
「総合グランプリ(Grand Prize)」に輝く。
(13年間のコンペティションの歴史の中で、日本出身者のGrand Prize受賞は初めて。また、ジャズ部門ノミネートからも初めての快挙)!(グランプリ対象曲は"Musashi"。Okinawaも佳作に選出)。
2015年1月、神戸市の委嘱により、メモリアル曲「KOBE」を作曲。
震災20周年特別慰霊イベントで、映画「スィングガールズ」のモデルとなった兵庫県立高砂高校の
ビックバンドとともに「KOBE」を初演。
5月、1ヶ月に及ぶJAPANツアー計21公演を開催。
11月ニューアルバム「ReNew」をリリース。
2016年12月31日 最新アルバム「ReNew」がアメリカの権威あるジャズアワード「Annual Jazz
Station Awards/The Best Jazz of 2016」で最優秀賞に輝く。
ベストアルバム賞に加え、大野自身も「ベスト・トランぺッター賞」「ベスト・コンポーザー賞」に
選ばれ、全米でも数多くのメディアがこの受賞のニュースを報じている。
2017年5月16日
世界最大級の国際作曲コンペティション" International Songwriting Competition(ISC)"におい
て、137カ国1万6千人の中から「ジャズ部門最優秀賞(1st place)」に輝く。
<受賞曲は"Go On"。アルバム “home”(Pulsebeats Records)に収録>
◆ライフワークである学校講演と被災地を訪ねて
2011年5月、ニューヨークにて東日本大震災チャリティーイベントを、公立学校区の共催で開催し
多くの参加者、義援金を寄付。
2011年7月以来、今日までの来日の際、その回100回以上、東北の被災地を訪門。
釜石市、気仙沼市、大船渡市、仙台市、花巻市それぞれの地にて、小・中・高等学校、避難所、
仮設住宅、及び地元アマチュアバンドとの交流コンサート等を行っている。
2016年から熊本への被災地支援を実施。
◆現在も、俊三は不屈の精神をもって、世界の人々の心にポジティブなエネルギーを与え続けている。
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